こんにちは、あや坊主です。
今日は2021年3月3日、「桃の節句 お雛様の日」ですね。
今日取り上げる主人公は女優・歌手 松島トモ子(75)さん。
松島トモ子さんといえば、4歳の頃から芸能界にデビューして以来テレビ界で活躍し続け、1986年41歳の頃、テレビロケでライオンとヒョウに襲われる衝撃アクシデントに見舞われながらも芸能界で活躍され続けていらっしゃり、不屈の精神を持った女優さんというイメージもおありです。
そんな松島トモ子さんの芸能人としての活躍の背景には、デビュー以来、女優・松島トモ子さんを支え続けて来た母・志奈枝さん(100)の存在があります。
今回は、3月3日「徹子の部屋」(松島さんは黒柳徹子さんとも同世代で縁が深い)にご出演なさり、お母様(志奈枝さん)が二月に100歳を迎えられたばかりの晴れ晴れしい時期にご出演なさるということで、改めて松島トモ子さんの現在、そして若い頃のご活躍も交え、お母様と乗り越えてこられた二人三脚の芸能生活と老老介護についてまとめながら、松島トモ子さんと母・志奈枝さんについて調べました。
松島トモ子さん 生い立ち&プロフィール
女優・歌手 松島 トモ子(まつしま ともこ、本名;松島 奉子(ともこ)、1945年7月10日 )
現在:毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携
・生後満州国から引き揚げ
・3歳:石井漠舞踊研究所に入門、バレエを始める。阪東妻三郎にスカウトされる。
・1949年:4歳に芸能界デビュー(「サザエさん」(ワカメ)など80本の映画で主演)
・1953年:「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」でデビュー。少女雑誌『少女』では、表紙を10年間一人で務め、芸能雑誌『平凡』でもモデルを務める。
・大東学園高等学校在学中に渡米。ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールにて奨学金で研修し、帰国。帰国後は、ミュージカルを中心に、ラジオ、テレビのパーソナリティ、CM、「ひょっこりひょうたん島」の声優などで活躍。
・1996年:平和慰霊公苑を守る会会長に就任。
・1998年:「車いすダンス」競技
・2019年:著書「老老介護の幸せ (母と娘の最後の旅路)飛鳥新社」を出版。
・2020年:芸能生活70周年を迎える。
・2021年:75歳(3月時点)
4歳から芸能界に入り、数々の仕事をこなされて来たことがよく分かります。踊りが得意、渡米するなど芸術的才能が豊かな方ですね。平和への功労や車椅子ダンス協議を極めるなど、意識が高く徳を積まれている印象です。お父様は戦時中に亡くなられており、活躍の背景にはお母様の尽力があったということ。現在の介護生活へのインタビューを拝見すると「老々介護は恩返し」と度々語られています。お母様なしでは語れない人生がお有りと思います。
松島トモ子さんの人生のキーパーソンである母・志奈枝さんについて調べて見ました。
松島トモ子さん 母・志奈枝さんの生い立ち&プロフィール

松島トモ子さんの母・志奈枝さんは現在100歳(2021年2月誕生日時)になられたとのこと。
生まれたのは100年前の1921年(大正10年)。
大きな屋敷で育ち、日本料理、フランス料理、中国料理と、料理ごとにコックがいたというたいそうなお嬢様だったそうです。
18歳の時には、香港ペニンシュラホテルのローズルームで社交界デビューされたと言います。
松島トモ子さんから見ても憧れの存在だったそうで、家にいる時も朝昼晩と着替えをし、美しく、老いを感じさせない方で、他人の悪口をいうことなく、好奇心旺盛で他の方の話を聞くのも大好きだったそうです。
朝の連ドラになりそうな生い立ちと人柄ですね。
松島トモ子さん そっくりな母・志奈枝さん 美しい母と娘
松島トモ子さん 現在75歳 100歳の母を支える老老介護の日々

松島トモ子さん 壮絶介護から穏やかな介護へ
お湯も沸かしたことがなかった松島トモ子さんが在宅介護を選択
4歳から芸能界入りし、以来母・志奈枝さんと二人三脚で仕事をされてきた松島トモ子さん。
2016年の春、母・志奈枝さんが転んで左腕を骨折突然し、95歳の誕生日にお母様が失禁をしているのに気づいて以来、認知症介護の日々が始まったそうです。
その頃松島トモ子さんは70歳、それまでの人生でお湯一つ沸かしたことがなかったそうです。
それが、急にお母様の認知症による変化(失禁や幻視、罵詈雑言、徘徊など)を目の当たりにし、それに対応する松島トモ子さん自身もストレスでパニック障害を起こすなど、当時は壮絶な状況だったとのこと。
お母様の認知症症状の発症から約半年たってやっと「レビー小体型認知症」という病名がついたそうです。病名がつくことによってやっとお母様の症状を病気として知ることができ、薬も処方され、松島トモ子さんご自身のパニック障害の症状とお母様の「レビー小体型認知症」の症状が軽減されるようになったとのこと。
一時は仕事をやめて、と考えていた松島トモ子さんも、親身なケアマネージャーから「あなたが発狂してしまうから仕事は続けなさい」と説得されたおかげで乗り切ることができたとのこと。
気持ちを読み取る介護
そんな壮絶な介護のすえ、お母様の人柄や気持ちを読み取る介護をしていく中で、お母様と良好な関係が築け、穏やかな介護の日々を送ることができるようになったとのこと。
私も介護の職場にいるので、よくわかるのですが、認知症の方との接し方というのはとてもデリケートな分、相手の気持ちやそれまでの生き方、心と心のかよわせ方が大事となって来ます。松島トモ子さんのように、相手の気持ちを読み取りながら行う介護・ケアをすることによって認知症の症状がありながらも介護の中で穏やかな時が訪れることがあります。松島トモ子さんの「幸せな老老介護」は、家事も介護も一切経験のないところから、お母様を自宅でみたいという純粋な、母への感謝の思いが読み取れ、胸が熱くなります。
松島トモ子さん 老老介護の心に響く名言
・老々介護は恩返し
出典:女性自身https://jisin.jp/entertainment/interview/1833793/
・完璧な母のまま無くなっていたら、きっと私立ち直ることができなかった。
・少しは親孝行できてるんじゃないかって
松島トモ子さん 2021年までのまとめ
松島トモ子さんの子供の頃から現在までをみて、現在の松島トモ子さんの魅力、そして松島トモ子さんを支えて来たお母様の人生の奇跡、知ることでお二方への尊敬の念が湧きますね。
今の時代、仕事をしてお金を得て暮らしていくことが大変すぎて、ご家庭でお年寄りをみることが大変な方も多いと思います。
松島トモ子さんも同様です。芸能界で活躍されながら、もちろん周りの方の助けもあるかと思いますが、慣れない介護をされたり、人が変わったようになってしまった母・志奈枝さんに戸惑いながらも2人で暮らしてこられた日々。お二人で困難を乗り越えながら2021年に母・志奈枝さんが100歳を迎え、それを晴れ晴れとした気持ちで穏やかに迎えられるというのは、それまでの努力と支えてくれた母・志奈枝さんへの感謝の念と思いやりがたくさん溢れるほど垣間見れて松島トモ子さんを応援したくなると同時に尊敬の念がわきました。
美しいだけではなく、芸術や平和への心向が深く、介護の中でも心の鍛錬をされてきた松島トモ子様。これからも母・志奈枝さんとの、幸せな日常と介護の日々を送られることを祈っています。
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