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令和初の横綱!?照ノ富士の幕下〜横綱の復活経緯まとめ・嫁と師と仲間の存在が支えに

照ノ富士 異例の大関復活の道のり スポーツ

2021年春場所(3月)の千秋楽が照ノ富士の優勝によって幕を閉じましたね。
照ノ富士、古傷を抱えていた左膝の悪化に伴い成績が落ちていき、膝の怪我を治すための休場、大関から西序二段48枚目まで降格、月給200万から無給にもなりました。

けれど師匠の言葉、前向きな不屈の精神と内助の功、応援の声の元再び土俵にカムバックし、怒涛の令和2年11月の13勝、令和3年1月の11勝、令和3年3月の12勝優勝と、異例の大関カムバックを果たしました!

その後、2021年夏場所での単独トップで独走中、千秋楽で戦うと思われる相手、貴景勝とも、3月場所では勝っているのでこのまま優勝へ独走!と思われます!

怪我と休場を繰り返し平幕まで落ちてから3年半ぶりに大関に返り咲いた照ノ富士さんの確かな強さは経験したここまで来るのに様々なドラマがあったことと思います。

今回は

・照ノ富士の過去のスピード出世と没落の経緯
・照ノ富士の現在の活躍と快進撃の経緯と成績
・照ノ富士を支えてきた人たちの存在(師匠・仲間・妻)

について調べてみました

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照ノ富士 スピード出世から没落!幕下〜大関快進劇の経緯

若き照ノ富士のスピード出世

相撲のためモンゴルから日本の高校へ留学(母国モンゴルでは学業優秀で技術大学に17歳で飛び級)
【2010年】高校卒業を控えて間垣部屋に入門
幕下昇進まで全ての段を1場所で通過

【2013年】間垣部屋が閉鎖されて移籍伊勢ヶ濱部屋に移籍。
十両昇進
伊勢ヶ濱親方の現役時代のシコ名「旭富士」の「富士」を取って、「照ノ富士」シコ名に。

【2015年】夏場所(関脇2場所目)照ノ富士初の賜杯「平成生まれ力士の初V」
(この優勝で照ノ富士は大関に昇進。スピード出世。横綱誕生への期待がかかる)

照ノ富士 古傷の悪化で没落 引退ではなく休場を決意

左ヒザの古傷が悪化。ケガが完治しないまま強行出場を重ねた結果
【2017年】名古屋場所・秋場所を連続で途中休場。14場所務めた大関から陥落

怪我も完治せず満足な稽古もできないまま出場しては途中休場を繰り返し、番付は十両降格
糖尿病・肝炎にも悩まされるようになる。心が折れ、何度も引退を申し出る
師匠・伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)「まずは体を治せ。やめるのは、やれることをすべてやってからだ」と慰留。(照ノ富士は糖尿病や肝炎、腎臓結石を患っていた)
【2018年】「照ノ富士の決断」夏場所の途中休場時点で幕下陥落は確実だったが、引退届ではなく「休場届」を提出。怪我と病気を治すために4場所連続で全休。そして休場中、番付は下がっていく。

【2019年】春場所、幕下→三段目→西序二段48枚目まで降格

照ノ富士さんは大関へのスピード出世を果たすも、怪我が原因でせっかく登りつめて言った大関から幕下まで降格してしまったのですね。しかも、没落していく間も左膝の痛みに加え、糖尿病に、腎臓結石。C型肝炎まで患っていたというのですから、思うようにいかない稽古と試合とを繰り返しながらも、周囲も本来強い照ノ富士への期待を失うことなく、アドバイスをし、結果引退ではなく休場を選び、しっかり病気と怪我を直し、トレーニングも続け再びのし上がっていきます。

照ノ富士の下克上・休場後の快進撃

一度大関になった方が無給の幕下までさがり、待遇も落ち、怪我でどん底を経験するも、腐ることなく再びチャレンジし勝って成功するという快進撃。

《令和1年》快進撃が始まる
2019年5月場所…三段目再昇進
2019年7月場所…幕下再昇進
《令和2年》
2020年1月場所…十両再昇進(関取復帰)(13勝2敗 十両優勝)
2020年3月場所(東十両三枚目)(10勝5敗
2020年7月場所(東前頭十七枚目)…幕内再昇進(13勝2敗 幕内優勝 殊勲賞 技能賞 )
2020年9月場所(東前頭筆頭)…(8勝5敗2休)(13日目から左膝の変形性関節症のため休場)
2020年11月場所(東小結)…返り三役(新小結)(13勝2敗 技能賞 )
《令和3年》
2021年1月場所(東関脇)…関脇再昇進(11勝4敗 技能賞) 
2021年3月場所(東関脇)…大関再昇進(12勝3敗 幕内優勝 殊勲賞 )
2021年5月場所(西大関)…(ここで大関での幕内優勝となれば、年内新横綱誕生への期待もさらに高まる)

イケイケドンドンに出世していっていた20代前半から20代後半に突入し、約2年半ほど不遇の年をすごされた照ノ富士、その間前向きな気持ちを失わずにやってこれたのは周りの人の助けと、励ましがあったからではないでしょうか。そして照ノ富士自身がそういった良き理解者や周りの方達の中で、くさらずに、前向きな気持ちをもち、いい人たちからいい影響を受けて頑張ってきた。頑張る姿を見て周りもより応援した。そういう素晴らしい人間関係が大関復活の裏にあったようです。

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照ノ富士の快進撃の裏側

妻の内助の功・親方・仲間の支えと後援者の応援

怪我が悪化した左膝を抱えながらもあがいて試合に出ては負け、休場をくりかえしていた照ノ富士ですが、師匠の言葉によって腰をすえて怪我に向き合い完治させることができました。
また、先輩や同じ部屋の仲間やの支えもあり、復活Vを得ることができました。

・親身になってアドバイスしてくれた安治川親方(兄弟子)
「筋肉が落ちないように、体を動かせよ」と自身の故障の経験からアドバイスをくれた

・かつて照ノ富士の付き人「照強」の援護射撃
朝乃山に2敗で並ばれてしまった照ノ富士のために、続く結びの一番で照強が朝乃山に土をつけた。

・力を信じてくれた師匠・伊勢ヶ濱親方
まずは体を治せ。やめるのは、やれることをすべてやってからだ

・没落しても離れて行かなかった後援者
どんなに番付が下がろうと応援するよ」と、変わらず支援をしてくださった後援者の方達

・苦しい時を支えてくれた奥様・妻の存在
両膝のけがや糖尿病や肝炎の影響で大関から序二段まで転落した時期の支えとなってくれた奥様(同じモンゴル出身のツェグメド・ドルジハンド夫人(26))が復活するきっかけとなったそう。復帰のきっかけは奥さんのおかげとおっしゃってます。

元々、シャンパン20本を空ける酒豪。「全く飲まなくなった。奥さんもいたので“節制しないと”と思ったのでしょう」と中板さん。今年2月に挙式した、ドルジハンド夫人とは復帰の1年前に結婚。復活を精神面、食事面でも支えていた。

引用元:Yahoo
照ノ富士挙式
照ノ富士挙式
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照ノ富士・優勝後インタビューの言葉抜粋

照ノ富士優勝
照ノ富士2021春場所/ 優勝

令和3年3月場所大関返り咲きの際の言葉

「ほっとしてます・・・1日1日必死に前を向いてやってきた結果が現れてよかった。
「大関に戻ることが目標だったが、優勝も行けるかもと途中から思い。」
できることを精一杯やるだけですから。」
「序二段に戻った時止めようとも思ったけどやめなくてよかった
「皆さんお応援のおかげです。」(そう言って涙ぐむ照ノ富士)

謙虚になった照ノ富士

一度没落してからというもの、マスコミへの対応も柔らかくなったそう。
感謝の心を心からいだけれるようになった照ノ富士は、後援者やファンの皆さんに対してとても友好的になっているのではないかなと思います。

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まとめ

今回の春場所の最中、インタビューに答える度に、「できることをやっているだけ」と淡々と、自分にできることを毎日努力を惜しまずされてきた照ノ富士さん。
以前は出世街道まっしぐらな活躍ぶりでイケイケの強気な発言も多かったですが、一度没落してから再び大関になり、以前とは違う内面の成長がより、存在感と安定感のある相撲を見させてくれそうで、大関になってからの場所が楽しみです。人格も体も技術も形成された今、横綱への期待も高まりますね!

参考資料

https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK40327_R10C21A2000000/
https://news.1242.com/article/237770
https://article.auone.jp/detail/1/6/12/202_12_r_20210328_1616919161397069

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