大相撲2021年7月の名古屋場所が白鵬不在=横綱不在の対戦となりそうですね。そんななかモンゴル出身の大関照ノ富士が2場所連続で優勝Vを飾っており、名古屋場所で綱取りになるのでは!?と期待を集めています。
そんな照ノ富士さん、膝の怪我や右鎖骨の骨折と糖尿病などの持病が原因で大関から十両へ陥落、そこからの復活劇で今年2021年3月に大関復帰と優勝を飾り、それから5月場所でも優勝、波に乗っている現在ですが、
大関から十両まで陥落してからも諦めず、再び大関に返り咲き綱取りまでいくなんてすでに感動もの。
そんな照ノ富士について詳しく知りたい!ということで、今回記事を書いていこうと思います。
・照ノ富士が子供の頃はどんな子だったのか
・照ノ富士はどんな風に育ったのか、どんな環境で育ったのか
・照ノ富士のご両親はどんな人なのか、顔や職業も知りたい
照ノ富士のモンゴル時代:幼少期〜どんな子供だったの?

照ノ富士は1991年11月29日、ダルハン市第一病院で生まれる。生まれた時は4200グラム。日本では4000グラム以上が巨大児と言われているので、子供の頃から大柄だったことがわかります。
そんな照ノ富士の本名は「ガントルガ・ガンエルデネ」。
父親の名前から「ガン」母の名前から「エルデネ」をとって、祖母から「ガンエルデネ」と名付けられたそうです。
照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお)
本名:ガントルガ・ガンエルデネ
生年月日:1991年11月29日 (29歳)
身長 192cm 体重 178kg 血液型はO型
所属部屋 間垣部屋 → 伊勢ヶ濱部屋
得意技 右四つ・寄り・極め出し・小手投げ
照ノ富士の故郷ダルハン市はこんなところ

照ノ富士が生まれ育ったのはモンゴルのダルハン市オロホン郡
首都ウランバートル市から北に220キロメートル離れたところで青果栽培が盛んだそうです。

病弱で入院を繰り返していた赤ちゃんの頃、改名で元気に!

日本では仲間から「ガナ」の愛称で呼ばれている照ノ富士さん、実は故郷での愛称は「バター」で
とのこと!
照ノ富士さんの「バター」という愛称には幼少期のストーリーがあるそうです。
今だけを知っていると信じられませんが、赤ちゃんの頃の照ノ富士さんは体が弱く、風邪で入退院を繰り返していたそうです。そんな照ノ富士さんを心配したご両親がお坊さんに相談したところ、「ガンエルデネ」という名前が赤ちゃんの照ノ富士さんには荷が重すぎるとのことで「バター」と呼ぶようにアドバイスを受けたのが改名の理由だそうです。
ちなみに本名の「ガンエルデネ」という名前には「ガン」はモンゴル語で「鉄」、「エルデネ」は「宝」という意味があり、「鉄のように強く」「宝のように輝かしい人物」になってほしいという母親の願いが込められているそうです。

たしかに、赤ちゃんのには荷の重い名前かもしれませんね…。
でも今はそれがまさに実現されているということで、母親は本当に嬉しいでしょうね。
ちなみに「バター」という名前には「頑丈」とか「揺るがない」という意味が込められているそうです。どの名前も今の照ノ富士さんを体現をしていてすごいですよね。
そんなこんなで家族から「バター」と呼ばれるようになった照ノ富士さんはそれ以来大きな病気をすることもなく、すくすくと大きく育っていったそうです。
照ノ富士は3兄弟の真ん中っこで一人男

そんな照ノ富士さんの兄弟は3人いて、照ノ富士さんは真ん中っ子で兄弟で唯一の男の子だそうです。お姉さんは3歳差とのことですが、子供のころから体が大きかった照ノ富士さんはお姉さんよりも大きかったそうです。
子供の頃から体重が増え続けて体格も大きかった照ノ富士さんはご両親に心配されて、なぜこんなに体重が増えるのか?と病院で検査まで受けたそうです。相当な成長具合だったのでしょうね・・・結果は異常なしだったそうです。
基本すくすく育った照ノ富士さんですが6歳のときに鎖骨を骨折をしたことも・・・相撲取りになってからも右鎖骨を骨折したりしてますので、鎖骨が弱いのでしょうかね・・・
照ノ富士の子供の頃・負けず嫌いで成績優秀

そんな照ノ富士さん、子供の頃はどんな性格の子だったのかというと
・負けず嫌い
・多少頑固だが優しい子
・勉強がよくできて数学が得意(地区の数学の大会で学校から選出されるほど)
・歌も演技も上手
・ボール遊びやチェスをよくしていた
・緊張したり照れたりしない。
・総合的になんでもこなす子
だったそうです。

オールマイティで潜在能力の高い子といった感じですね。
相撲だけでなく何をやってもエリートになれた方だったのですね。
ご両親の育て方も素敵で、ゲルに住んでいた頃は子供のやる気を出させるために「家事手伝い日記」を用意して点数をつけるなど、子供が家事を楽しんで率先的にやるように工夫もされていたそうです。(競争や点数付けは短期的な取り組みだったというので、そこも素敵ですね。ずっとじゃない。)

そんな時も照ノ富士さんは負けず嫌いが発揮されていて、アルミのヤカンや器を一生懸命に磨いて両親にアピールするなど負けず嫌いで頑張り屋な子供らしいお子さんだったようです。水汲みや薪の仕事も手伝ってくれたそうです。

モンゴルでの家族の暮らしが微笑ましいですね!
照ノ富士は子供の頃から有言実行の人・言ったことが本当になる
そんな照ノ富士さん、子供の頃からご両親にこう言っていたそうです。

「大きくなったら、両親に高級車を買ってあげる」
「僕は外国に行くんだ。成功したら両親を招待する」
そして、大関に復活する際も、

「今年中に大関になる」
といったことが本当になったとのことで、照ノ富士さんのいうことはいつも実現すると家族は不思議んながらも思っているようです。
すごいですよね・・・
今回の名古屋場所での綱取りへの意気込みも、本当になりそうです。

「精いっぱい準備して、できる限り頑張って、チャンスをつかみたい」
2021年の春場所で大関に返り咲いた時も
「できることを精一杯やるだけですから。」
といい、淡々と白星を勝ち取り優勝をつかんだ照ノ富士さんですから、フィジカルメンタル共に安定した強さがあり、今回綱取りをされる可能性はとても高いですね。
白鵬の父親から柔道を教わり才能の太鼓判をおされ日本に

そんな照ノ富士さんが相撲の道に進むきっかけとなったのは、白鵬関の父親との出会いでしょうか。
照ノ富士さんは子供の頃白鵬関の父親であるジグジドゥ・ムンフバト氏に柔道を習っていたそうです。
というのも、照ノ富士の親戚であるトムルー(白鵬関の父の弟子だった)という方がモンゴル労働組合文化センターで柔道クラブに入っていて、その彼に誘われて中学の時に柔道を始めたのをきっかけに、白鵬関の父親から「きっと伸びつ」と太鼓判を押された逸話があるそうです。
とはいえ、勉強も良くできる方で、数学に秀でていた照ノ富士さんは両親の期待もあり(経済学の道へ進んで欲しかったそう)中学2年の時にウランバートルに引っ越し、数学重点指導の学校オロンログに入学し、その後は国立工業大学付属高校に入学したという学歴や17歳で技術大学に飛び級で合格したという学歴も持っています。
そんな照ノ富士さんは2007年に母親と日本旅行をした際に偶然相撲部屋関係者に声をかけられて連日稽古を見学したのをきかっけに大相撲の世界に魅了され、結局学業には進まず、当時いた国立工業大学付属高校を中退して日本の鳥取城北高校に相撲留学したとのこと。

日本旅行で偶然相撲関係者に声をかけられるなんて、すごい偶然と運命ですね!
学業も飛び級するなどすごい・・・
相撲稽古の見学が人生をガラッと変える大きな出来事だったのかもしれません!
子供の頃から両親の苦労を見ていた照ノ富士さんは
海外に行って成功しするという夢を選んだのかもしれませんね!
下の写真のお顔がすごい!こりゃ日本で人生の勝ちを掴みに来た訳ですな!
この闘志は学業に収めていたらもったいない!!

鳥取城北高校では、高校3年時の高校総体で同校のメンバーとして、優勝に貢献されたそうです。
ちなみに、奥様のドルジハンドさんもモンゴル出身ですが日本の高校に留学されていました。
そんな奥さんの経歴も素敵ですよ、エピソードはこちらで見れます。
相撲で成功し仕送りで故郷の家族を支える照ノ富士

照ノ富士さんは大関の頃は月給200万以上ほど稼いでいたとされています。
大相撲の給料制度は以下のようです。
月額給与 | 年俸 | |
大関 | 250万円 | 3000万円 |
関脇、小結の三役 | 180万円 | 2160万円 |
幕内 | 140万円 | 1680万円 |
十両 | 110万円 | 1320万円 |
十両以上になると関取と呼ばれ給与が発生するほか、
本場所で優勝すると1000万円も支給されるとのこと。
さらにいうと、この表は毎月の本給であり、各種手当が他にも支給されているそうです。
そして、十両よりも下の幕下以下は給与ではなく、本場所ごとに手当てが支給されるのみで、研修生という扱いのようです。
場所ごとの手当については
幕下:約15万円
三段目:約10万円
序二段:約8万円
序ノ口:約7万円
と、微々たるもの・・・大変ですよね。強くならないと稼げないですね。
怪我と病気で成績不振になり十両、さらに幕下序二段まで下がった照ノ富士さんですが、母国の家族のために月に15〜20万ほどの仕送りを続けていたそうです。(序二段の時もかどうかはわかりませんが)
でもこんなにも稼いでらっしゃるので、もっと本国に仕送りをされていそうですよね。
故郷では国宝級のヒーローでしょうね!
いま、息子は私たち家族の生活を支えてくれています。幕下のとき、家族それぞれに名前を刺しゅうしたタオルをお土産にくれました。すごく嬉しくて、宝ものにしています。
引用元:www.bbm-japan.com 2021年4月の記事
モンゴルの選手はみんな強いので、日本の相撲が稼ぎ場になっているような感じがしてなんだか微妙な気持ちにもなっていたのですが、単純に息子が出世して家族を大事にしているというストーリーに感動してしまいました。
別記事で追記しようと思いますが、照ノ富士さんは将来日本で親方になるために日本国籍取得に向けて動いているそうです。
照ノ富士の両親ってどんな人? 両親の写真や職業は?

そんな照ノ富士さんのご両親はどんな人か、気になりますよね。
ご両親の名前は
父・ガントルガさん
母・オユンエルデネさん
お二人ともご健在です。
ご両親の馴れ初めは、職場結婚だそうで、照ノ富士さんの故郷であるモンゴルのダルハン市オロホン郡は成果が盛んだそうで、モンゴル国内初の果物、野菜を加工する工場ができたことで、そこにお母様は就職されていたそうです。そこで旦那さんと出会い、母上22歳の頃に照ノ富士さんを生んだそうです。

これだけ文武両道秀でた照ノ富士さんですのでご両親も何か特別な才能があるのでは?と思ったのですが、ごく一般的なご家庭のようです。
ご両親は夫婦共々特にスポーツもやっていないそうですし、お二人とも高校時代遊びで柔道をちょっとやったことがある程度でスポーツといえば子供達とバスケをしたりソリをしたり、そんなぐらいなそうです。
父の会社が倒産・一家はゲル暮らし?
父ののガントルガさんは金の採掘会社で勤務をしていたそうですが照ノ富士が2010年間垣部屋に入門した翌年の2011年(照ノ富士関が各界入りした年)に勤務先の会社が倒産したそうです。

父のガントルガさんは勤めていた会社が倒産してから採掘会社をご自分で起業したそうですが結局倒産・・一家は車やマンションを売り払って、土地にゲルを構えて暮らしを続けていたそうです。
現在もゲル暮らしなのかどうかわかりませんが、照ノ富士さんは仕送りもされているので、裕福にやれているのではないかと想像します。
そんなご両親は照ノ富士さんの対戦をテレビで観戦して応援されているそうです。ただ、お母様が見ると負けるというジンクスがあるそうで・・場所中は父ガントルガさんがテレビにかじりついて応援されているそうです。
ご両親のお顔などはネットを調べても出て来ませんでしたが、横綱になった暁にはテレビやネットでのインタビューでご両親や故郷の親戚など皆さんの顔が見られるかもしれませんね!
「思いやりのある人格者になってほしい」と願っているご両親の期待通り、照ノ富士さんは怪我や挫折を味わい、お世話になった方やファンの方への感謝を忘れない人格者となっているようです。

「序二段に戻った時止めようとも思ったけどやめなくてよかった」
「皆さんお応援のおかげです。」(そう言って涙ぐむ照ノ富士)
(2021年 春場所のインタビュー)
照ノ富士の復活の背景には、親方や仲間の存在、変わらず応援してくれたファンの存在、そして大関昇進前から交際していた奥さんの内助の功があるなど、照ノ富士の周りの人々の存在も素敵です。
また、照ノ富士の大関復活劇と成績の経緯などをまとめた記事はこちら
・照ノ富士 スピード出世から没落!幕下〜大関快進劇の経緯

・照ノ富士 妻の内助の功・親方・仲間の支え
参考資料
https://www.bbm-japan.com/article/detail/17420?page=1
https://sumououen.com/33.html
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